筆者とマネージャー

「ちりとてちんのメンバーでブラジルで落語会をやりたいです」

年が明け、2008年3月。「ちりとてちん」の撮影を終えたぼくはマネージャーにそう話した。
「落語会でなくても何かしらのイベントをやりたいんです。 それを番組にして日本移民のこと知ってもらいたいんです。地球の反対側知りたいし、ブラジルに行ってみたいし、喜ばれたらもっとうれしい。まだメンバーの確認もとってませんけど。100周年とか、NHKの世界での放送とか、タイミングがすごいんです、時機ってやつです。今年じゃないと意味がないんです!」

何を言ってるのかよくわからない。もっとまとまってから話すべきだ。まあ落ち着いて、と言われお茶を飲み今までの経緯を話す。
「なるほど。じゃあ出来るかどうかは別として、とりあえず企画を持っていろいろとあたってみよう」
やった、賛同してくれた!ぼくは企画実現のための強力な味方を手に入れた。

しかしそう簡単にはいかなかった。どこもいい返事が返ってこない。理由はこうだ。

1. とにかく金額がバカにならない。移動費に加え滞在費から何からかなりかかる
2. 何をどんな形でどこでやりたいのか、具体的なものがよく見えない

まず1。お金はかかるだろうな。出演者、スタッフ。どんだけ少なくても最低5人は必要だろうし。
そして2。んー、行けそうなメンバーと話し合って形を決めていこうかなと。けどみんなも忙しいし、はたしてスケジュールを空けるようお願いなどできるだろうか。じつに難しい。
そもそもドシロウトのオレが番組の企画なんて100年早いのだ。100年後ならば移民200周年か、その頃にはきっと・・・チクショー!ダメなのか。
わかってますよ、3.青木崇高の知名度が低い これもきっと理由の一つだろう。

「旅もかねてひとりで行ってきます」
興奮と失意の連続でもう頭がいっぱい。
だいじょうぶです、なんとかなりますよ。
旅で出会った日本人のおじいさんおばあさんとコーヒー飲みながらいろいろお話を聴きます。移住当時のこととか、ブラジルでの生活とか、NHKのこととか・・・
ああ、番組にできてたらなあ。もっともっとたくさんの人に出会えるのに。
なんだか会う前から申し訳ない気分になってきた。スイマセン、チカラブソクデ。
けれど100周年も同様、「ちりとてちんの草々」にもやはり期限がある。
来年、再来年じゃ「誰?」となる。やはり今年でないと意味がない。そこは絶対譲れない。なら一人で行くよりしょうがないじゃないか。
番組にできなかったぼくができることはきっとこれくらいのことなのだ。でも行かないよりはマシだろ?
スケールなんか関係ないぜ。いいのだ。出会えれば。
感じれば。それだ、うん。
喜ばれるかどうかすらわからないが、とにかく行こう、行けばわかるさ!そう自分にいい聞かせた。

出発は9月下旬に決めた。
しっかりお休みをいただいた。
ありがたい事務所だ、こんなわがままを聞いてくれて。いや、ひょっとして見捨てられてる?
むかしアメリカを旅したとき帰ってきたらバイト先の籍がなくなっていたことがあったけど。
それなのかな?まさかね。

吉永家の紹介で知った「アルファインテル南米交流社」に度々足を運び、少しづつ航路を決めていった。
「ちりとてちんを毎日観てたから他人とは思えない」と初対面なのにご飯に誘っていただいた佐藤社長。
南米にかける情熱を感じました。ありがとうございました。チケットの件で大変お世話になった山際さん、原田さん、本当にお世話になりました。
やっとでき上がった旅の予定はこうだ。

ペルーの首都リマから入ってナスカの地上絵、マチュピチュの遺跡をまわり、その後ブラジルのリオデジャネイロへ。そこからサルバドール、マナウスとまわりサンパウロへ。サンパウロからイグアスの滝を観てまたもどり、日本へ帰る。長いのか短いのか、1ヶ月の旅である。

「せっかくイグアス行くならパラグアイの日本人移住区に顔出してみな。和太鼓をつくっている人がいるから。そこで落語やったら受けるよ」
「いやいやとんでもない、草原兄さんの落語会で一席やらせてもらいましたが、ぼくひとりじゃあみなさん退屈ですよ、てかうまくないし、てか落語家さんじゃないし」
「だいじょうぶ、みなさんは草々さんに会うだけで嬉しいんだから。じゃあそういうことで」
 とは佐藤社長の提案、残酷すぎやしませんか?
「えー、どねしよう」地球の反対側でスベリまくる自分を想像し怖くなったが、「えーい、ままよ!」ハラをくくり予定をちょと調整。

ペルーの首都リマから入ってナスカの地上絵、マチュピチュの遺跡をまわり、その後ブラジルのリオデジャネイロへ。そこからサルバドール、マナウスとまわりサンパウロへ。サンパウロからイグアスの滝を観て「パラグアイの移住区で落語会」。またもどり、日本へ帰る。長いのか短いのか、やはり1ヶ月の旅である。

40Lのバックパックを背負い、肩からボーチをさげる。中には鳥の木彫り、日記帳、そして大量の五円玉。拓哉さんいわく、五円玉には穴があるし金色に光っているので南米では珍しく、チップ代わりにあげるととっても喜ばれるらしい。そりゃあ必要でしょ?あと着物。これは忘れちゃいけない。

多くの人に「気をつけて、死なないようにね」と言われた。おれだって死にたかないよ。
これから旅に出ようって人間に「死ぬな」はないでしょ。
「気をつけて、存分に楽しんでこい!」せっかくならそう言ってやってくれ。

ともかく!
いろいろあったが念願かなって南米への旅は今こうして現実となったんだ!
いろんなものに出会って楽しみまくろうじゃねえか!

そして勢いよく飛行機に乗り込んだ。